詩のない詩集

ここには詩を書く予定だったのだが

マンガの動きの件oyomot氏の連続ツイート

野家啓一はいい加減すぎる

野家啓一「歴史を書くという行為――その論理と倫理」(『歴史/物語の哲学』5-6ページ)から

この方向転換は、「すべての哲学は〈言語批判〉である」(『論理哲学論考』4.0031)というウィトゲンシュタインの言葉によって端的に表明されている。だが、そこでは命題と事態、語と対象の指示関係は自明の前提として疑われてはいない。いわば、言語と世界とは予定調和的な対応関係(写像関係)に立っているのである。それゆえ、フレーゲやラッセルを含めて、第一の言語論的転回を推し進めた哲学者たちは、基本的に言語を、実在を指示する透明な媒体として捉える、実在論的言語観を保持していたと言ってよい。

よくない。

「実在を指示する透明な媒体」とことばをとらえていたなら、なぜ「宵の明星=明けの明星」という文に認識的価値があると考えたのか、なぜ「意義」と「意味」の区別を導入したのかまったくわからない。

あと、フレーゲが命題の指示対象としたのは真理値だ。

ライトノベルを定義するためのガイド(不完全版)

はじめに

この記事は不完全です。すみません。

ライトノベル定議論という面倒くさいものがある。なぜこんなにも面倒くさいのか。私が考えるに、定義も一枚岩ではないこと、つまり、定義には性格や目的の異なる様々なものがあることが、知られていないがための混乱も一因である。そこでここに各種の定義について解説し、ライトノベルの定義を試みる者の一助としたい(「こんなにややこしいならやめよう」と判断できるようになるのも適切な助力であると私は考えている)。

分類

以下の分類は排他的でも網羅的でもない。

用法を記述するもの

事象を解明するもの

言葉の使い方を指図するもの

「ジュヴナイルSF再評価」へのツッコミ

しかしこの後、ライトノベルは、水野良ロードス島戦記』や神坂一スレイヤーズ!』の登場から一気にファンタジイへと傾く。少年が事件に巻き込まれ、生まれた村を離れ、旅を重ねて、本来の自分があるべき場所へとたどり着く異世界を舞台にした貴種流離譚や成長物語が、九〇年代のライトノベルの大半を占めることとなる。*1

そんなわけはない。

*1:三村美衣(2014)「特集解説 ジュヴナイルSFの黄金時代」『S-Fマガジン』2014年6月号、早川書房、2014年、p. 56

はてなブログでもはてな市民になれるようになったそうなので、何か書こうと思う

実はwikipediaに投稿しようとおもって資料を集めてる。

年度別ソロデビューした声優のリスト(2000年以降、極めて不完全)

インディーズやキャラソンは除く。参考はwikipedia

2000

2001

2002

2003

2004

2005

2006

2007

2008

2009

2010

2011

2012

2013