グイード・フォン・リスト
フェルキッシュ・オカルティスト
18世紀末から20世紀初頭にかけて、ドイツ周辺で、ネオ・ロマン主義という文化運動が台頭してきていた。当然、文芸においても例外でなく、
出生〜青年期
1848年のウィーンに生まれる。本名は、グイード・カール・アントン・リスト。家は裕福な皮革商人であった。
リストは芸術家を志向していたが、父親はそれを認めず家業を手伝うよう求められていた。
それでも彼は、自然をスケッチしたり、文章に表すことに余暇を費やしていた。彼はまた、ウィーンのボート・クラブに参加していた。
1875年の夏至の日のことである。彼自身の話によれば、友人らとローマ時代の遺跡に赴き、ワインの瓶を鉤十字の形に並べて土に埋めた、という。
作家時代
父親の死後、家業から解放された彼は、著述業として活動する。彼は、歴史小説『カルヌントゥム』(1881)、『若きディーターの帰郷』(1894)、『ピパーラ』(1895)をものし、劇の創作も行う、ネオ・ロマン主義の作家として、世間に知られていく。