詩のない詩集

ここには詩を書く予定だったのだが

 H・ワロンは嫉妬を一種の同情(sympathie)だと説きます。たとえば妻と関わりをもっている男がいるとすれば、私はその男を押しのけて、自分がそれに変わらねばなりません。もし自分が自由に動くことができれば、そうするでしょう。つまり、妻と関係をもっているその男の立場に身を寄せて彼の味わっている快楽を理解した上で、本当のところその妻との関係を楽しむべきは自分なのだと感じているわけです。これをワロンは、言わばばその男の情に自分の情を重ねている、つまり同情(原文傍点)しているというのです。ただし嫉妬は、現実には自分がその男に取って代わることができないから感じるものです。つまり自分は、その男の妻へのかかわりに情を重ねながらその立場に成り代われず、これを座視するしかない。ただ見、想像するだけで(つまり受身的に)情を重ねながら、しかも関わっているのは自分ではないという分裂の意識に悩む、そうした受身的な悩める同情(sympathie souffrante et passive)こそが嫉妬だというわけです。

発達心理学再考のための序説―人間発達の全体像をどうとらえるか